【アダルトチルドレンの悩み③】疲れるほど気を使う<後編:ちょうどいい改善策>
<前編>では、気を使いすぎる人が気を使いすぎる原因や事情についてみてきました。<後編>では気をアダルトチルドレンや繊細さん(HSP)でも無理なく自然に実行に移せる「ちょうどいい改善策」を考えてみました。ストレスフリーの人間関係はもうすぐそこです!
過剰な気遣いが周囲に与える影響
気を使いすぎる人は、集団をよりよくしたいと考えます。しかし、その目論見どおりにはいかないようです。気を使いすぎる人は周囲の人にどう思われ、どんな影響を与えているでしょうか。その結果、気を使いすぎる人は集団の中でどうなるのでしょうか。
シミュレーション(1) 案外、気づかれてない
「なんでなの? もう! こんなに気を使っているのに……!」
あっちはミスがないか、こっちはちゃんと進んでるか、あの人は機嫌損ねてないか、この人からどう思われてるか、全方向にフル回転。これだけ気配り目配りしても、周囲の人が気づいてくれるとは限りません。気づいてくれるのは、同じ気を使いすぎる人タイプか、美味しいとこ盗りを狙うハイエナさんです。だから評価や感謝にはつながりにくく「そんなものよ、わたしはこういう役回りだから」と自分へのネガティブな感情を燻ぶらせています。
誰かから感謝や労いの言葉をかけられると、当然とてもうれしいのですが、その喜びさえ「たいしたことしてませんので」と控えめ。その反応の薄さから、自分を理解してもらう機会や親密になる機会を失うため、ますます評価や感謝から遠のき、他人の関心や注目は薄れます。これが気を使いすぎる人の真意の可能性があります。ことに、HSP、アダルトチルドレンの人の場合、他人の顔色をうかがい、他人の目を気にするのは、他人を恐れ、集団にまぎれて自分を目立たなくするためです。その戦略が功を奏し、気を使いすぎる人のガンバリは周囲から気づかれないのです。
シミュレーション(2) 真意を疑われる・勘ぐられる
「何かおかしくない?」「ちょっとアヤシイんだけど」
気を使いすぎる人が褒められたり、感謝されたりしたときの、謙虚さ。これが他人には「あざとい」と映ることも。残念ながら気を使いすぎる人に「あざとさ」はありません。せめてハイエナさんくらいあざとければ、疲れたり、病んだりしないのですが。
「じゃあその気遣いはどんなワケありなの?」と、周囲の人は不信感を抱きます。タダより高いものはありませんから、当然です。顔色や反応をうかがわれれば「何か疚しいことでもあるの?」「試してる?」「もしかして監視?」。相手を優先して尽くす姿勢も「我慢してるでしょ、ホントはイヤなんじゃない?」「なぜそこまで? 下心でもあるの?」と。
一度、不信感を持たれたら、100%好意的・肯定的には受け取ってもらえません。それを払拭するために気を使いすぎる人はさらに無理を重ね、それが周囲の空気をさらに不穏なものにします。
シミュレーション(3) イライラさせる
「いやいや、そこまでしてくれなくてもいいんだけど?」
言葉を選びに選んで、幾層ものオブラートに包んでも、それがメッセージを好意的・肯定的に受け取ってもらえる保証にはなりません。むしろ、ストレートに伝わらず「っていうか、はっきり言ってくれない?」と相手をイラつかせることもあります。
そもそも一方的に気遣われる関係は、対等ではありません。「そこまでされると申し訳ない」と相手に居心地の悪さを感じさせます。さらに控えめな態度や気遣いが高じて、「頼んでないのに、押し売り」「むしろありがた迷惑」周囲の不快感の変わることも。「まるで私たちが悪者だよね? 一方的に仕事やらせてるみたいで」。気を使いすぎる人の余計なガンバリのせいで、こちらまで余計な仕事が増えると恨みを買うこともあるかもしれません。
シミュレーション(4) 距離を置かれる
「あの人といると、なんか気を使って疲れる」
本来、気持ちいいのは気兼ねしないで自然体でいられる関係性とそこから自然に生まれる共感です。一方的に気遣われる関係は、居心地が悪いため、相手も同じように気遣いしようとします。その結果、気遣いや遠慮がバリケードとなって、相手と親しい関係になることを妨害してしまうのです。
これは、周囲の視線が気になって、他人が怖いと感じるタイプの気を使いすぎる人にとって、孤立はいい隠れ蓑になることも多々あります。しかし、好ましいことではありません。深刻なのは気を使いすぎる人の自己評価をさらに下げ、「自分はダメな人間だ」と思い込ませることにつながるからです。
こうして心の距離が広がると、周囲は気を使いすぎる人との一体感を味わいづらく、その気遣いは空回りしやすくなります。集団をよりよくしようとする気遣いを周囲はリスクと感じるようになってしまうのです。
気を使いすぎる人が今日からできる改善策
ここでは気を使いすぎる人が、リラックスしたり、コミュニケーションが楽になる改善策を6つ紹介します。いろいろ試して、自分に合う方法・やり方・レベルを見つけてください。
改善策(1) 心の軸を立て直す
気を使いすぎる人は心の軸が相手に傾いていたり、他者を軸にして考えたり感じたりする【癖】がついています。言い換えれば、それだけ自分のことをないがしろにしている、ということです。だからツライし、苦しいし、疲れるのです。
そんな傾いてしまっている(あるいは、持っていかれてしまってる)不安定な心の軸を自分に戻してあげること。これができれば無駄に疲れず済むようになります。まあ、癖を直すのは時間がかかりますから、最初からうまくはできないでしょう。現段階では「あ、今、ワタシ、相手の軸で考えてる→だからツラいんだ」と気づくだけでOKです。無理に止めよう、変えようとしなくて大丈夫です。そのうち、ちゃんと自分の軸で物事を考えられる癖がつきます。
改善策(2) 安全地帯を確保する
気を使いすぎる人が人間関係での疲れを癒すには、演じている役割を脱いで、素の自分を安心して出せる場が必要です。誰からも干渉されない、誰の目にも晒されない、携帯電話からもネットからも離れて、自分ひとりか、本当に信頼できる誰かとだけになれる場所=安全地帯を確保してください。まずはご自宅ですが、ご家族と同居の場合は、注意が必要です。
気を使いすぎる人は家族にも気を使うので。家の中で、一人で安心して過ごせる場所を確保してください。また、キレやすい家族(大声を出す、物を壊す、暴れる)や両親の不仲(ケンカ)、DV・虐待がある/あった家庭は、安全地帯として適していません。自室にひきこもって一時避難はできても、そこは戦場に築かれた土豪のようなもの。むしろ危険地帯です。いずれにせよ、心や神経が疲れたとき、逃げ込める避難所として家の外や職場で「外こもり」できる安全地帯も見つけておきましょう。
家の外:落ち着いて一人になれる場所。公園・図書館・カフェ/喫茶店・まんが喫茶・インターネットカフェ・カプセルホテル・ビジネスホテル・レンタルスペースなど。家族と同居の場合、ワンルームのマンションやアパートなど。
職場:人が少ないフロアのトイレの個室・使われていない会議室・近所のコンビニなど。
安全地帯ですること:緊急避難的には、「ああ、疲れたなあ」と自分の気持ちに寄り添って、どれだけつらいことを自分に課したのか、今の疲れに気づく。イヤなことを自分にさせたんだと振り返る。長時間過ごせる安全地帯では、その疲れを癒す。ぼーっとする、寝る(横になる)、眠る→ある程度回復したら自分の好きなことをする。※ただし、反省は絶対にしないこと。
改善策(3) 自己犠牲や苦行をしない
気を使いすぎる人は、他者目線で考えて「これは、ワタシがこうしたほうがいいんだよね」という動機で行動します。相手のためという意識はありますが、自分にイヤなこと、やりたくないことを強いているという自覚はありません。多くの場合、 だけです。正しい努力は役に立ちますが、苦行や自己犠牲はマゾヒズムを満足させる以外、役に立ちません。ドMでもない限り、ドMであっても職場では、やめたほうがいいです。
とはいえ、無理にやめる必要はありません。「これは、ワタシがこうしたほうがいいんだよね」と考えることも、行動することも、どうぞ、ご存分に。ただし、そのとき「今、ワタシは自分に自己犠牲や苦行を強いているんだ」と自覚してください。「今、ワタシは、相手(イヤな人物だったりする)のために、1ミリも興味がない、気乗りゼロむしろマイナスの、本気でやりたくないことを自分にやらせようとしてるんですね?」と気づいてください。
その結果「そもそも、これってワタシがするべきことでしたっけ?」と疑問が湧いてくれば、しめたもの。「他人のために、自己犠牲や苦行をしなくていい」と50%くらい気づいたら、苦行の30%くらいは自然にやめるでしょう。
改善策(4) 情報だけを正確に伝達する
気を使いすぎる人は用件をストレートに伝えることが苦手。話の背景や相手の意図を汲んで誰もが同意できる形をめざそうとするからです。
ところで情報には、たくさんの要素が内包されています。
たとえば、「土曜日の横浜は雨が降った」という情報があるとしましょう。
「土曜日の横浜」が、デートか、仕事かで、この情報の意味は大きく異なります。せっかくのデートが雨に降られたら「プラン変更を余儀なくされてがっかり」だったかもしれません。雨天で客足まばらな店舗では、店長なら「売上が伸びず残念」、カリスマ店員なら「ヒマで退屈」、一方、慣れない新人なら「楽でほっとした」といった感情が生まれたでしょう。また、初デートか、プロポーズ予定かでは、土曜日の横浜の雨の重要度(価値)は大きく異なります。
気を使いすぎる人の空気を読む癖、頭を使って、他者の視線で考えたり、相手の気持ちを察っしたりしているのは、まさに、この部分。情報の内側にある目に見えない「感情・意味・価値」です。それらをヒアリングするのに時間も手間もかかり、気遣いするのは疲れます。
仕事でのコミュニケーションでもっとも重要なのは「情報」です。「土曜日の横浜は雨が降った」ことが正確に伝達されれば十分なのです。時間も手間もかからず、疲れません。
空気を読む癖をやめる必要はありません。「今ワタシは、空気を読んでる」と自覚するだけでOKです。ただ、仕事で伝達するのは情報だけでいいということを覚えておいてください。
改善策(5) 「NO」が言えないなら「条件付きOK」
気を使いすぎる人は相手の要望を断りません。それを言えば、相手にいやな思いをさせると思うからです。気を使いすぎる人に限らず、一般に「断る」「NOと言う」のはストレスが高い行動です。だから言いづらいのは当たり前で、その伝える工夫として理由を長々と述べたりして、何とか「断る」ことを相手に了承してもらおうとするわけです。
普通の人ですらこうですから、気を使いすぎる人の場合、なおさらです。案の定、無理して請け負って疲弊します。相手はできないならできない、イヤならイヤとあなたに言ってほしいのです。誰も、無理せたいと望みません。むしろ、嫌がります。
気を使いすぎる人が「NO」と言えないのは癖ですからしかたありません。「NO」が言えないなら、そのかわりに「条件付きOK」で答える方法があります。
たとえば「○○してほしい」と頼まれたとき「この作業が終わってからならOK」「明日ならOK」「川崎まで来てくれるならOK」「□□の準備をしてくれたらOK」「□□の準備までならOK」「あなたと△△さんが手伝ってくれるならOK」というように、無理せず要望に応えられる条件を付けてOKするのです。複数の条件をつけるのもいいでしょう。
「相手の要望に100%応えるべき」と考えるのは誤りです。自分にできることをできる範囲で応える、それが相手にとっても自分にとっても安全で合理的な応え方なのです。
改善策(6) 気遣いより感謝を伝える
気を使いすぎる人は「ごめんね」「すみません」「大丈夫?」を多用する癖があります。
TVドラマの「相棒」シリーズの特命係・杉下右京は「ありがとう」を多用します。相手によって「ありがとうございます」「どうもありがとう」と変化しますが、毎回こういうシーンが必ずくり返し描かれます。一方「すみませんねえ」が用いられるのは、そのあとに続く「小さなことが気になるのが僕の悪い癖」とセットのときのみで、そう多くはありません。聞きにくいことを聞くなど、捜査を粘るときのちょっとした図々しさのエクスキューズとして使われます。
つまり、頼みごとをした相手に「感謝」を返し、無理を言った相手には「気遣い」するのです。
「気遣い」する相手に「感謝」を述べても、問題にはなりません。逆に「感謝」を述べる相手に「気遣い」すると、少々厄介です。謝られた相手は、逆に「なんか悪いことしたかな?」と心配したり、「申し訳ない」という罪悪感を抱いたりします。これを心理学では心の安定を保つ防衛機制の一つ「反動形成」といいます。防衛機制が作動するくらい、人は謝罪されることにストレスを感じます。逆に、ストレートに喜びを伝えてもらうことを好み、相手が喜ぶことをくり返したいという気持ちが自然に働きます。「ありがとう」を多用する右京さんは、再度その恩恵を受ける確率が高まるというわけです。
もし、あなたが人間関係でのイージーモードを望むなら、気遣いの「すみませんね」より感謝の「ありがとう」の多用が解決の近道になるでしょう。
気をつかう人には強みもある!
気を使いすぎる人には、無意識にくり返される癖がありました。残念ながら、過剰な気遣いは周囲にも自分にも幸せな結果はもたらしません。とはいえ、自分を追い込む癖に気づくことができたあなたは、疲れ果ててしまう前に、燃え尽きてしまう前に、もうちょっとだけ自分にやさしく、少なくとも、自分を気づかってあげてください「今、ワタシ気持ちよく呼吸できてるかな?」とか。それと毎日の改善策で、癖も少しずつ修正していけるはずです。
気を使いすぎる人は、極上のサービスのプロフェッショナル、洗練されたおもてなしの達人になる素質もあります。気を使いすぎる人には、細部にも広範囲にも目が届く、人のニーズを敏感に察知できる、といった誰にも負けない強みがあります。これを忘れず、生かしていきましょう。
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